民族_雛形

分布

東南アジアのインドシナ半島南部のカンボジアを中心に、タイ東北部南部(南イサーン)やベトナム南部(メコンデルタ)など、旧クメール王朝領土に多く居住している。その他、植民地時代の移民でフランス、カンボジア内戦時代でのインドシナ難民としてアメリカ、オーストラリア、カナダ、日本などに移った人も多い。

起源

クメール人の起源は、他のオーストロアジア語族と同様、メコン川上流の中国雲南省と考えられている。紀元前20世紀ごろには、既にメコン川下流域に居住していたものと考えられており、モン族、チャム族、マレー人と共にインドシナ半島に居住しているもっとも古い民族の一つに数えられている。

産業

クメール人の多くは低地の平野部に居住しており、そこで稲作を主体とし、副次的に果樹や野菜などの栽培鶏・豚・牛の畜産などの農業を営んでいる。また、メコン川やトンレサップ湖などの水辺では、漁や養殖などの漁業を営んでいるものも多い。農閑期には竹細工や織物などの手工芸を行う地域も少なくない。近年は都市住民となり、会社勤めをする者も増えつつある。一方でクメール人と漢民族との混血である中華系カンボジア人は、古い時代から都市住民となり商業を営むものが多い。

外見

一般的なクメール人の外見は、低く幅広の鼻に特徴付けられる。目は二重で大きく、体毛が濃く、また頭髪が波状の巻き毛のものが多く、肌は近隣諸国の民族と比較すると褐色が強いものが多い。漢民族との混血と近年の美容意識の高まりから、都市住民においては色白で直毛のものが増えつつある。

宗教

多くのクメール人は、近隣のミャンマー、タイ、ラオスなどの主要民族と同様、上座部仏教を信仰している。カンボジアの国教も上座部仏教となっており、クメール人の多くが上座部仏教の暦を用いて生活を行っている。一方でクメール王朝期に信仰されていたヒンドゥー教は、祭事などの習慣として色濃く受け継がれており、また仏教・ヒンドゥー教伝来以前から信仰されていた、土着の精霊信仰ネアックターなどの信仰も幅広く行われており、各家庭に精霊の祠などを見ることができる。

衣文化

伝統的な正装はサンポットと呼ばれる巻きスカートや、チョーンクバンという巻きズボンを着用し、現在も結婚式や宗教行事の際や、ホテルやレストランの制服などで着用しているのを目にすることができる。サンポットやチョーンクバンに用いられる布は、カンボジアで伝統的に生産されている絹織物である。インドシナ地域で養蚕に用いられてきた蚕は原種に近いものと言われており、黄色い糸を吐く。この黄色い絹糸で織り上げられた布は、しなやかで耐久性が高く、素朴な風合いや優しい質感を持つものとなる。この絹糸と自然染料を用い、絣や綾織など様々な技巧を凝らした絹織物が生産されていたが、ポルポト時代以降急速に衰退してしまった(現在、カンボジアの絹織物を復興する活動が行われており、昔の技術を取り戻しつつある)。

普段着としては、サロンクロマーといった綿の腰布を着用しており、現在でも農村部では広く見ることができる。クロマーは万能布のも呼ばれ、腰布だけでなくスカーフや日除け帽子、手ぬぐいなど様々な用途に用いられる。 現代の都市部においては、西洋的なファッションが広く普及している。多くのクメール人が仕事着として、襟付きの長袖シャツとスラックス、革靴を着用している。気温が高いのにもかかわらず長袖を着用するのは、強い日差しから肌を守る意味合いが強い。

住文化

クメール人が多く居住するカンボジアは、国土のほとんどが熱帯サバナ気候に属しており、年間を通して気温が高く、また1年のうち雨季と乾季で明確に季節が分かれている。また、カンボジアにおいては国土の大半が平原であることから、雨季に洪水が多発する。その為、クメール人の伝統的な住居は1~2m以上の高床になっており、床下の風通しが良く、また床上浸水しないようになっている。また高床の床下部分には台が置かれたり、支柱にハンモックを吊ったりして居間や客間として利用されたり、農業資材の置き場や作業場として利用されることもある。しかし、近年は農村での大家族化が進んでおり、この床下の空間に地上階部分が増築されるケースも増えている。 この高床住居は専ら、居間兼寝室として用いられており、台所兼食堂、便所に関しては別棟で建設されることが多い。

伝統的な住居は木造であり、屋根材に瓦が用いられる他は植物由来の健在で建てられている。近年建てられる家屋には床下の構造体が鉄筋コンクリート造のものが増えている。これはカンボジア政府が森林保護のために木の伐採を厳しく取り締まっている為である。その為、治水が進んでいる地方では、部材が安く建築が容易な鉄筋コンクリートと煉瓦を用いた、平屋の住居も急激に増えつつある。 人口の密集している都市部の中間層の住居としては、伝統的に長屋が多い。都市部には中華系カンボジア人が多い為、地上階部分を商店にして、上層階に居住する住まい方が一般的である。一方で富裕層は戸建ての邸宅を所有しており、その建築はフランス植民地時代以降現代建築となっている。

食文化

クメール人の日常的な食事は一汁一菜程度の非常に質素なものである。主食としての米、汁物としてのスープに、主菜として焼き物や炒め物、揚げ物、和え物などが提供される。また、揚げ物や焼き物には漬物が付くことが多い。 クメール人は元来、狩猟採集と稲作を中心とした生活を送っており、野菜を栽培する文化がそれ程なかったといわれている。これはカンボジアの地が通年温暖で多くの植物が自生しているためであり、伝統的なクメール料理にはこれらの野草や果実などが利用されている。またメコン川水系の豊かな水辺は、クメール人のたんぱく源として淡水生物をもたらしている。その為、伝統的な食材としては米、淡水魚、野草や果実が挙げられる。

[主食] 主食はインディカ種の粳米であり、糯米は製菓や酒造などに用いられる以外あまり常食されない。

[淡水生物] 淡水魚はフナ、ナマズ、アナバス、ライギョ、トゲウナギ、ダツ、グラミー、ニベ、ナイフフィッシュなどが多く消費されている。淡水魚は焼き物や揚げ物、スープなどの具材に用いられる他、伝統的なクメール料理の調味料である「プラホック」の原料ともなる。プラホックは魚を塩漬けにして発酵させたもので独特な強い臭気を持つが、たんぱく質が分解されアミノ酸を多く含んでいる為、非常にうまみが強い。主に汁物や和え物の味付けに用いられる他、香辛料や香味野菜と混ぜて食べたりする。淡水魚は保存とうま味を高める目的で、干物(トレイ・ンギアッ)や燻製(トレイ・チュアー)にされることが多い。干物はライギョが最も一般的だが、ナマズやダツなども買校の対象になることがある。焼いたり揚げたりして白米と一緒に食すのは、最も質素でありながら最も基本的なクメール料理といえる。尚、干物はスイカやマンゴーなどの果物と共に食されることがある。燻製は汁物の出汁に使われたり、和え物のトッピングなどに用いられている。また、糯米と一緒に漬け込んで、ナマズの熟れ寿司の「プオッ」や、ライギョの粕漬の「マム」など加工食品も生産されている。 淡水魚以外の淡水生物としては、エビやカニ、貝類が挙げられる。エビは大型のオニテナガエビから、小エビまで様々な種類が消費されている。小エビは調味料にも用いられており、乾燥させて干しエビにしたり、塩漬けにしたりされる。また、「カピ」と呼ばれる発行したエビのペーストは様々な料理に用いられている。淡水生のカニはそのまま蒸して食べたり、塩漬けにして和え物の調味などに用いられている。貝類はシジミとタニシが最も一般的で、シジミは湯掻いものに調味をして天日干しにしたものを路上で販売している。タニシは蒸して食したり、中身を取り出して和え物の具材になったりしている。

[食肉・昆虫] クメール料理は淡水魚が用いられることが多いが、食肉も良く用いられる食材である。クメール料理で良く用いられるのは鶏肉、豚肉、牛肉で、その他にもカエルやウズラなどは比較的よくクメール料理に用いられる食肉である。その他、地方ではイノシシやシカなどの獣肉を食すこともあるが、現代のカンボジアにおいては野生動物の狩猟が禁じられている為、違法行為に当たる。 クメール料理においては昆虫食も比較的一般的で、特に中部のコンポントム州などで盛んである。食す昆虫はコオロギ、バッタ、ゲンゴロウ、タガメ、カイコガ、バンブーワーム、サソリ、オオツチグモ、ゾウムシ、ハチ、ツムギアリなどが挙げられる。多くは素揚げにしたうえで調味して食されるが、ツムギアリは酸味料として料理に用いられることもある。

[野草・果実] 水辺や平野部に自生する野草の利用が非常に盛んである。代表的な野草食材としてはハス(果実、茎、根)、ホテイアオイ(花、茎)、空心菜(茎)、インドセンダン(葉、果実)、イモ(根)、モリンガ(葉)などが挙げられる。また、各家庭で果樹を栽培しており、バナナ(幹、花、果実)、マンゴー(果実)、パパイヤ(果実)、ジャックフルーツ(果実)、タマリンド(果実)、オウギヤシ(果実)、ザボン(果実)、ライム(葉、果実)などが主に利用されている。果実を料理に使用する場合は、未熟で硬く酸味の強いものを用い、具材となるほかにも料理に酸味を付ける意味合いがある。

[香辛料・香味野菜・香草] クメール料理はインド文化の影響を色濃く遺しており、様々なスパイスを用いて調味されている。淡水魚を多用するクメール料理においては、臭い消しや風味付け、解毒を目的として「クルーン」と呼ばれる香辛料や香味野菜をすりつぶしたペーストを多用し、様々な調合が存在する。クルーンに用いられる代表的な食材はウコン、レモングラス、ショウガ、ガランガル、ニンニク、コリアンダー、エシャロット、コブミカンの葉などである。調合したクルーンはカリー(カレー)や、スープに使われる。その他、クローブ、八角、シナモンなどの香辛料を料理に用いることがある。香草も広く食されており、ホーリーバジル(カミメボウキ)、ノコギリコリアンダー、ドクダミ、ヤナギタデ、リモノフィラなどが一般的な香草である。胡椒や唐辛子は近世以降にもたらされた香辛料であるが、現代のクメール料理には幅広く使われている。 [調味] クメール料理の味付けは主に甘味、酸味、塩味であり、料理によっては苦味、渋味を加えるものがある。辛味に関しては最初から強くついていることは稀で、基本的に辛味の調味は個人の事由に委ねられている(但しタイ国境付近のバッタンバン州では辛い味付けが行われる地域もある)。調味料にはプラホック、カピ、魚醤、薄口醤油、塩、胡椒、味の素、大豆発酵調味料、クメール料理は近隣諸国のタイ料理ほど辛みや脂っこさがなく、ベトナム料理ほど香草を使わない料理になっており、全体的に甘めな調味がされている一方、プラホックや淡水魚の独自の臭気放つ料理が多い為、あまり諸外国で人気のある料理は少ない。

カンボジアとクメールの語源と建国神話

クメールの語源はパーリ語の「Khemara(ケマラ=健やかな人、健全な人)」という言葉に由来しており、Khemaraが変形したKhmaer(クマエ)という現地語を英語表記したKhmer(クメール)という言葉で広く認知されている。クメールという言葉は後述のカンボジアに比べると、単一民族を強調した言葉であり、真臘国やアンコール王朝を築き上げた民族を限定して呼ぶ場合に用いられる。

一方のCambodia(カンボジア)という言葉の源流については諸説あるが、言葉としての起源は紀元前7-3世紀ごろのインドの鉄器時代に書かれた、サンスクリット語・パーリ語文献に散見される「Kamboja(カンボジャ)」にという言葉に由来するものと考えられている。当時このカンボジャという言葉は、インド人がインド文明の地から北西方面に離れた、現代のアフガニスタンにあたる地域に住む特定の民族国家を指して用いたもので、意味合いとしては「野蛮な人々」といったようなニュアンスを持ったものであった。後にインドからインドシナ半島に渡った商人や僧侶が、この地に住む人々がインド文明人から見て非文化的であったことから、この言葉を呼称として用いるようになり、それが国名や地域を指す言葉として根付いたというものである。

その他、カンボジアという言葉の起源を、「カンブ(Kambu)の子孫(Ja)」という言葉に結びつける者もいる。この説はAD947年にアンコール遺跡群内のバクセイチャムクロン遺跡に刻まれた碑文に基づくもので、碑文には以下のように記されている。—カンボジアの国の始祖であるインドの賢者カンブ・スワヤンバフアは、インドシナ半島にたどり着き、当地の蛇神の姫メラと結婚し、当地を統治した。そこからカンブの始祖の国をカンボジアと呼ぶようになった。面白いことにこの碑文のカンブ伝説と同様の話が、カンボジア民話として伝わっている。この民話ではカンブはカウンディヤという名前のインドの小国王になっており、インドの一地方で燻っていたカウンディアが夢の中で、「あなたは東方に海を渡って新天地を見つける」という神のお告げを受け、船を造ってインド洋を東へと渡る。そして辿り着いたカンボジアの地で、その地を治めていた一族とその蛇神の王女のソーマと出会い、戦いの末に融和し、結婚して当地を治めたという話になっている。この民話はカンボジアの伝統的な結婚式にも取り入れられており、現代カンボジアでは最も馴染み深い「建国神話」といえよう。

しかしながらこの建国神話は、クメールとは異なる民族国家の建国神話であるという説もある。というのも「扶南国」の建国神話がこれと同じであるからである。そして扶南国の方がより考古学的にこの神話の正当な継承者と言えそうだ。というのも、扶南国について初めて言及している7世紀の中国の文献「梁書」に記されている記録こそが、まさしくこのカウンディヤ(混塡)とソマ(柳葉)の伝説に合致するからである。

歴代クメール人国家

クメール人はインドシナ半島におけるもっとも古い民族であり、クメール人が所属していた最初の国家としては1世紀に興った「扶南国」が最も古いものである。とはいえ、扶南国自体の建国者はクメール人ではなく、インドと中国の間に栄えたオーストロネシア語族のマレー系人種の国家であったというのが定説で、この国においてクメール人は内陸部の属国民として扱われていたと考えられている。

しかし、後に550年ごろより扶南国の中にクメール人の最初の国家「真臘国」が扶南国の属国として建国されると、628年には形勢が逆転して扶南国を支配する構図になった。後に真臘国は領土が広がり、南の水真臘と、北の陸真臘に分裂し、774年ごろからはシャレーインドラ朝に侵略を受け一時期は国家を失うこととなった。802年には「クメール王朝」が建国され、その後10世紀から13世紀半ばにかけて、インドシナ半島の広域を掌握し、またアンコール・ワットなどの巨大石造寺院を作り上げるなど隆盛した。しかしながら14世紀ごろには隣国のタイとベトナムに挟撃されて急速に国土を失い(暗黒時代)、最終的には独立国家としての形を保つために1863年にはフランスの保護国となり植民地化がすすめられた(フランス保護領カンボジア)。

第2次世界大戦期の1941年には一時期日本軍が占領し「カンプチア王国」を建国したが、1945年には日本が配線してフランス保護領へと持った。その後独立運動が続き、1954年に念願の独立を果たして「カンボジア王国(第1期)」を建国した。しかしながら隣国ベトナムで発生したベトナム戦争の影響でアメリカに内政干渉を受け、当時の国王ノロドム・シハヌークの外遊中にクーデターが起き、アメリカの傀儡政権国家「クメール共和国」が1970年に建国された。クメール共和国下の地方を無視した政権運営に対し高まった地方農村の若者たちの不満は、フランス留学中に共産主義思想に触れたポルポトの立ち上げたクメール・ルージュの指示を高め、政権との軍事衝突を繰り返したのち首都プノンペンを陥落させて、共産主義国家「民主カンプチア」を1975年に建国した。民主カンプチアの革命では都市住民の強制移住、強制労働、虐殺などが行われ、また極端な原始共産制を強いたことによって飢餓が興り、短期間で100万人もの死者を出した。その後ベトナムの支援を受けた軍事組織カンプチア救国民族統一戦線が組織され、クメール・ルージュが支配するプノンペンを陥落させて、カンプチア救国民族統一戦線が優勢となり「カンプチア人民共和国」が1979年に建国された。

しかし、当国家は実質ベトナムの傀儡国家であり、西側諸国が多数派の国際社会から承認を得ることができず、国連の指示を受けた三派連合(ポルポト派、シアヌーク国王派、ソンサン派)との内戦が続くことなった。最終的には1991年に国連が軍事介入して内戦の終結と新国家の建国、普通選挙による政権決定が推し進められた(カンボジア暫定国民政府)。1993年に「カンボジア王国(第2期)」が建国され、与党には王党派が選出されたが、元カンプチア救国民族統一戦線メンバーで構成されるカンボジア人民党は1998年に軍事クーデターを起こし、その後カンボジアにおける政権を握り続けている。

クメール人の気質

クメール人は一般に大らかで従順な性格だと特徴づけられている。長年、農業と仏教を主体とした村社会で生きてきたクメール人にとって、地域住民の多くが血縁や親類となっており、競争相手というよりは互いに協力し合う関係性にある。特に家族内での結束は強く、年長者が年少者の学費を確保するために出稼ぎしたり、親兄弟のした借金などを家族同士で支えながら返済するようなケースはよくある。

一方で、温暖で災害が少なく、食料に困ることのない土地で生活してきたために、向上心や競争心の低さ、商売っ気の弱さは際立っている。この気質は、近世以降には隣国のタイやベトナムに侵略を受け、弱体化を招いた原因の一因になっている。現代においても、カンボジアの社会構造の中では、純血のクメール人よりも、漢民族との混血である中華系カンボジア人の方が都市に多く、商業や政治をしながらより比較的裕福な生活を送っている。

クメール王朝時代の栄光は、クメール人にとって民族的な強い誇りに繋がっており、暗黒時代以降の国勢や社会構造に対しては劣等感や憤りを感じている。嫉妬や憎悪が集団化することで、歴史の中でクメール・ルージュのような狂気を生んだこともあった。

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