アンコール王朝

カンボジアのもととなったクメール人の王国

アンコール王朝(クメール王朝ともいう)は、9世紀から15世紀まで東南アジアに存在していた王国で、現在のカンボジアのもととなった国であり、これより以前にあった真臘国の流れを受け継ぐクメール人の王国である。802年頃、ジャヤーヴァルマン2世王がシャイレーンドラ朝から解放し、プノン・クーレン丘陵で即位した。これがクメール王朝の始まりである。

宗教

宗教的には、13世紀に上座部仏教がインドシナを掌握するまで、ヒンドゥー教や大乗仏教の混じった宗教が信仰されていた

農業

古代クメール人は伝統的な農業コミュニティであり、稲作に大きく依存していた。多くの農民は湖や川のほとり、村を取り巻く灌漑された平野、または低地が浸水した丘に稲を植え、王朝全体を取り巻く大規模な稲作コミュニティの形成を実現した。

アンコール王朝 最盛期

1181年、ジャヤーヴァルマン7世がチャンパ王国に徹底抗戦して王都ヤショーダラプラを奪還し、王として即位。1190年にはチャンパ王国を降伏させた。12世紀から13世紀にかけて、クメール王朝はヴィジャヤ王朝ともしばしば戦争を行った。12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世の時代に最盛期を迎え、現在のタイ東北部、ラオス、およびベトナムのそれぞれの一部をも領有していた。ジャヤーヴァルマン7世はそれまでの王が掲げていたヒンドゥー教ではなく、仏教を信仰し、アンコール・トムを始めとする一連の仏教寺院を建立した。また、灌漑設備を建設して農業の振興をはかり、強大な勢力となった。

国家の衰退

クメール王朝は寺院建築で莫大な国費を費やした上、宗教をめぐる政争で次第に国力が衰えていった。1351年にアユタヤ王朝が近隣のタイで建国された。1353年、アンコール・トムへ留学していたファー・グムを支援し、ラーンサーン王国が建国され、1378年、スコータイ王国がアユタヤ王朝に征服された。14世紀後半からアユタヤ王朝が勃興し、アユタヤ王朝との戦いによって国力は疲弊。1431年、アユタヤ王朝が侵攻し、クメール帝国の首都アンコール・トムが陥落した。

現代に残る王朝最大の遺跡群

アンコール王朝最大の遺産は、王朝の天頂時代の首都の場所であった現在のカンボジアのアンコールである。アンコールワットやバイヨンなどのアンコールの壮大なモニュメントは、アンコール王朝の計り知れない力と富、印象的な芸術と文化、建築技術、美学の成果を表しており、そしてそれが長年にわたり様々な信念体系を証明している。王は即位すると新たな寺院を作るものとされていたことから、アンコール・ワットの周囲には1000以上にもおよぶ遺跡が残っている。アンコールは11世紀から13世紀にピークを迎え、世界最大の産業革命前の都市の中心地であったことが明らかになった。

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