アユタヤ王朝

400年もの間栄えたアユタヤ王朝

アユタヤ王朝は1351年にチャオプラヤー川下流域のアユタヤにて誕生し隣国ビルマに興った諸王国との戦争を繰り返しながらも1767年にコンバウンビルマの侵攻により滅亡するまで実に約400年間繁栄し続けてきた王朝。長きにわたって日本や中国などの東アジア、またヨーロッパ諸国との交易を行い発展し、現代のタイに繋がる多くの文化を生み出していった。

国際国家アユタヤ

チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地帯に位置していたため、水運を利用した海外交易や稲作で王朝は大きく発展した。

米や綿花などを中心にインド、中国、日本や、南アジア諸島国、さらにヨーロッパなどとも交易を活発に行い莫大な富を築いた。15世紀から大航海時代に突入するとアユタヤ王朝は交易の中継地として大きく発展する。

アユタヤ日本人村

14世紀ごろに作られ最盛期には約1000人が生活していたとみられる日本人村。日本人村には傭兵や貿易商人や奴隷などが住んでいたと考えられており、日本との朱印船貿易によって発展してきた。

アユタヤ王朝の王から功績を認められ日本人村を中心に活躍していた山田長政が1630年に暗殺され、日本人町の住民も謀反の疑いをかけられ虐殺されてしまう。

アンコール王朝への侵攻

アユタヤは勢力拡大の為スコータイやアンコール王朝などの周辺国に侵攻し領土拡大を図った。アユタヤ王朝との戦いで国力が疲弊していたアンコール帝国では1431年にアユタヤ王朝の侵攻によって首都アンコールトムが陥落。アンコール帝国はアユタヤ王朝の属国となり、1438年にはスコータイ朝を併合し東南アジアにおける強大な勢力を獲得した。

泰緬戦争

ビルマは当時アユタヤ王朝へ繰り返し侵攻を図っており、1569年にビルマのトゥングー王朝の侵攻を受け15年間支配下に置かれる。しかし1590年にはアユタヤ王朝は独立を回復し、ビルマでは内乱が起こったことからその後一時的にビルマからの侵攻はなくなる。のちにミャンマーとなるビルマ最後の王朝コンバウン王朝が1752年にビルマを統一すると勢力を強め、再び隣国のタイに侵攻を行う。1759年にはモン族族反乱者とそれを支援するアユタヤ王朝を侵攻し、1760年にはスパンブリーの要塞を占拠するも、指導者が病気となり勢力の弱まったビルマ軍はアユタヤを掌握できず退却。

アユタヤ王朝の滅亡

1767年、野戦で大敗を期したアユタヤ王朝は最後の砦であったアユタヤ王都の城壁を破壊され、場内への侵攻を許してしまう。これにより400年もの間、国際国家として繁栄し続け様々な文化が花開いた王朝は徹底的に破壊され、住民は捕虜として捕らえられた。アユタヤ王朝に存在していた寺院も大打撃を受けそのほとんどが廃寺となった。今でも頭部を持ち去られた仏像や攻撃の傷跡が残る寺院を見ることができる。

動画コンテンツ

アユタヤ紹介動画(一部英語版)
道重さゆみさんのアユタヤ観光
アユタヤ日本人村 4分35秒
Ayutthaya – City Video Guide
vraboコンテンツ

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