ラーンサーン王朝

ラオスの前身となったラーンサーン王朝

1353年から1707年の間、メコン川中流域を中心に発展を遂げた王朝。ラーンサーン(Lan Xang)は百万頭の象を意味し、その名の通り、強力な王権と軍事力を持ち、現在のラオスに当たる領域をほぼ覆う広大な地域を支配していた。ラーンサーン王朝は当時の東南アジアにおける最大の国の一つだった。現在のラオスの前身となった王朝で、ラオスの文化的および歴史的アイデンティティの基盤となった。

上座部仏教の伝来

1358年にクメール王朝から上座部仏教が伝来すると国内で大きな広がりを見せた。国王が上座部仏教を支援したことで多くの寺院や仏像が作られるようになり、ラーンサーン王朝の各都市では日常生活が地域寺院を中心に営まれるようになった。ラオス北部に位置する古都であるルアンバパーンには黄金仏の都という意味。

交易の中心地

ラーンサーン王朝は陸路交易路の中心地だった。ビルマやラーンナー王国からの陸路交易路はラーンサーン王朝を経由して雲南へ向かい、南のシルクロードとも呼ばれた茶馬古道という交易路へと繋がる。ラーンサーン王朝の首都がおかれたルアンパバーンではメコン川やチャオプラヤー川などをりようした河川交易も盛んに行われていた

ビルマの侵攻

セーターティラート王がビルマ族のタウングー王朝の圧迫を受けて1560年にラーンサーン王国の都をルアンパバーンからヴィエンチャンに遷都した。ビエンチャンは以後250年にわたって首都であり続け、都市防衛の強化や大規模な宮殿の建設などが行われメコン川からコラート台地に至るまでの領土拡大を成し遂げたが、14世紀頃から1752年まで存在したビルマ人のタウングー王朝により王都ビエンチャンが侵攻され、1603年にタウングー王朝から独立するまで支配下に置かれる。

王朝の黄金期

スリニャ・ウォンサー王の治世下で、ラーンサーン王朝は57年間、平和を維持することができた。宗教研究の為東南アジア全体から物騒などが集まる宗教的中心地へと成長した王朝では、文学、芸術、音楽、宮廷舞踊などの文化が花開き、上座部仏教を基盤とした文化の隆盛期を迎えた。スリニャ・ウォンサー王はラーンサーン王朝の法律を改訂し、司法裁判所を設立した。そのほかにもオランダ東インド会社との貿易協定や国境に関する条約など締結した。

王朝の分裂と衰退

確実な外交政策と仏教文化の発展により平和が維持され王朝は栄えたが、王朝の王位継承をめぐって内紛状態となる。1706年にはルアンパバーン王国がラーンサーン王朝からの独立し、翌年にはラーンサーン王朝がビエンチャン王国とルアンパバーン王国の2つの王国に分裂してしまう。さらにビエンチャン王国からもチャンパーサック王国が独立し、各国の間で抗争が繰り返されるようになっていった。王位継承者が統治するルアンパバーン王国、ビエンチャン王国、チャンパーサック王国の3つの王国はトンブリー王朝の侵攻を受け支配下に入る。徐々に衰退していったラーンサーン王朝は1827年に国王が処刑され、首都ビエンチャンも破壊されてしまう。

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