マジャパヒト王国

ヒンドゥー教国家マジャパヒト王国

マジャパヒト王国はジャワ島を拠点に1293年から1527年頃まで栄えたヒンドゥー教国家である。マジャパヒト王国は1350年から1389年にかけて広く東南アジアを支配していたと考えられているが、これには諸説ある。1365年に書かれた記録によれば、王国は最盛期になると実に98もの島々を支配下に置き、現在のインドネシア、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、タイ南部、東ティモール、フィリピン南西部に至るまで広大な土地を統治していた。

最後のヒンドゥー帝国

マジャパヒト王国は、ジャワ島周辺地域における最後のヒンドゥー帝国であった。東南アジアの歴史の中で最も偉大で最も強力な帝国の1つに数えられる。16世紀ごろイスラーム教国家マタラム王国が台頭するようになるとマジャパヒト王国は徐々に衰退していき、最終的にはマタラム王国によってうち滅ぼされた。

混乱の中で建国

ジャワ島にはマジャパヒト王国の前にシンガサリ王国という国が存在していた。モンゴルの王朝、元の皇帝フビライ・ハーンが服属を求めるため派遣した使節団を追い返したことで元の怒りを買い、1293年に大規模な遠征隊が派遣される。この頃シンガサリ朝は政治混乱の中にあり、クルタナガラ王の娘婿は一時的にマジャパヒト村に逃れ、後にジャワ島にマジャパヒトを建国した

王国の形成

1293年にラデンウィジャヤに首都が置かれる。建国後マジャパヒト建国に貢献したウィジャヤは国と東西2つに分割し統治するようになるが、ナーガラクルターガマによって書かれた王統史によると分割統治からほどなくしてウィジャヤの息子ジャヤナガラにより東西2つの地域は再び統合された。ジャヤナガラの即位中、ウィジャヤの同胞であったガジャビル・クティが反乱を起こしたため統治は困難を極めた。

最盛期

親衛隊長だったガジャマダが宰相に任命されマジャパヒト王国は最盛期に迎える。王国は1342年のバリ島侵攻を皮切りにインドネシア各地へ艦隊を送り、侵攻を行うようになる。バリ征服後、マジャパヒト王国はバリの統治権をアーヤケンセン、アーヤクタワンディラ、アーヤセントンの3人に分け与え統治させた。ガジャマダの指揮のもと、ニューギニア、ミンダナオ、スル諸島を含む地域を征服し、さらなる領土拡大を行った。のちにスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国を滅ぼし、南海の海洋交易航路を掌握する。

衰退

1389年に第4代王のハヤムウルクが亡くなるとマジャパヒトの勢力は衰退し始める。マラッカ海峡に15世紀頃にマラッカ王国が台頭すると南海貿易の中心地はマジャパヒトからマラッカ王国へと移る。マラッカ王国はマジャパヒトで起こったパルグルグ戦争という内戦に巻き込まれたシュリーヴィジャ王国の王子が戦火から逃れるためマレー半島に逃れたのを起源に建国されたと考えられている。

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  • マタラム王国
  • シンガサリ朝

民族

  • マレー人

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