パタニ王国

マレー系王国の中で最も古いパタニ王国

マレー半島を中心に現在タイのパタニやナラティワートと現代マレーシアの北部の大部分を支配下におさめていたマレー人による王国。1584年頃に王国の経済力と軍事力が大幅に向上し、アユタヤ王朝からの侵攻を退けながら発展を遂げた。1785年頃にアユタヤ王朝に侵攻されるまでの約400年間にわたって栄えた。

海洋貿易の拠点

当時の中国人によって書かれた記録によるとパタニ地域はもともと仏教巡礼者の交路として重要な役割を担っていた。タイ湾に向かう、またはタイ湾から到着したばかりの船の停留所として、中国やインド、および地元貿易業者の南シナ海洋貿易の要港として発展を遂げる。イスラム商人によるマレー貿易の中心地となっていたためムスリムの商人が多くこの地を訪れた。琉球王国とも貿易関係があったと考えられている

4人の王女

ラジャヒジャウは1584年にパタニ最初の女王として王位に就き、その後も女王の即位が続く。パタニ王国が4人の王女ラジャヒジャウ、ラジャビル、ラジャウング、ラジャクニンによって統治されていたころに黄金期を迎える。4王女はアユタヤ王朝と敵対関係にあり、パハン王国などの周辺王国と協力しアユタヤ王朝と戦争をしたこともあり、ラジャウングがアユタヤ王朝を攻め入った際は山田長政が交戦したといわれている。

緑の王女

ラジャヒジャウは緑の王女としても知られ、約30年間にわたって王国を統治し、国に安定と文化的発展をもたらした。ラジャヒジャウは治世中、貿易を積極的に行い、王国は貿易の集積地として成長した。中国人、マレー人、シャム人、ペルシャ人、インド人、アラブ人など多種多様な国の貿易商人たちがこの地で交易を行った。1592年に日本から使者が来訪し正式な貿易許可を求めたためこれを受諾。1602年にはオランダ船もパタニ港に現れ、オランドもこの地での交易が許可された。ヨーロッパの貿易商人にとっては中国市場にアクセスすることのできる貴重な貿易要所でもあった。また、王国では音楽、ダンス、演劇など大きな発展を遂げ、貿易の中心地だけでなく文化面でも中心地的存在となる。

青の王女と紫の王女

パタニ初の王女ラジャヒジャウが1616年に亡くなると妹のラジャビルが後継者として彼女が50歳の頃即位する。当時アユタヤ王朝とは貿易港としてライバル関係にあり、侵攻を危惧して2門の大砲を創設した。即位からわずか8年後の1624年にラジャビルは亡くなり、妹のラジャウングに王位が引き継がれた。ラジャウングは4王女の中でも特にアユタヤ王朝に対しては対立的であった。ラジャウングは1634年に亡くなり、王位は娘のラジャクニンによって引き継がれる。

黄色の王女と衰退

ラジャクニンの代まで王女による統治が連続していたが、ラジャクニンが王国における女性支配者による最後の統治となった。ラジャクニンは全王女ラジャウングとは対照的にアユタヤ王朝に対しては和解的な態度をとった。1641年にクニンはアユタヤ王朝を訪問し当時の統治者プラーサートトーン王と会見し、関係の有効化を図るも1646年頃、アユタヤ王朝によって他の支部国とともに鎮圧された。その後ブリ間によってアユタヤ王朝が崩壊すると一時自立を果たすが、チャクリー王朝の頃に行われたチャクリー改革中央政府の統治下にはいる。

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