スコータイ王朝

タイ族最初の王朝スコータイ朝

1238年から1438年まで存在したタイ族最初の王朝。首都スコータイはチャオプラヤー川の支流ヨム川沿いに位置する。ラムカムヘーン王の時代に最盛期を迎え、多くの寺院が建立された。スコータイ歴史公園には城壁に囲まれた宮殿や史跡が数多く現存しており、1991年にはユネスコ世界遺産に登録された。スコータイという言葉はサンスクリット語が由来となっており、「幸福の夜明け」を意味する。

タイ族最初の国家

現在タイの主要民族であるタイ人を含む、タイ族諸民族は中国雲南省の山間部から南下してきたと考えられている。

当時はアンコール王朝の支配下にあったものの、王が崩御したことにより支配力が弱まるとタイ国内にあったモン・クメール語族の国家を駆逐して急速に勢力を強めていった。

仏教思想

スコータイ王朝の頃に仏教思想が花開いたと考えられている。当時タイ国内ではピー信仰と呼ばれる精霊信仰が中心であったが、ラームカームヘン王の時代に上座部仏教が伝播し、のちの王となるリタイは王朝の立て直しを図るため自ら出家を行い、仏法王を名乗った。

クメール王朝からの解放

13世紀以前にはタイユアン族による王国が北部の高地に存在していた。そのころスコータイはアンコール王朝支配下にあったラヴォ王国の一部であった。スコータイを納めていたクメール領統治者に対して、小タイ族領主のポークン・パームアンと小タイ族領主のポークン・バーンクラーンハーオが反旗を翻しクメール勢力を追放する。ポークン・バーンクラーンハーオはシーインタラーティットとして、王朝初代国王に即位しスコータイ王朝の統治した。

タイ文字の制定

スコータイ王朝3代目国王、ラームカームヘンの頃に王朝は最盛期を迎え、タイ文字が作られた。タイ文字はクメール文字を基盤に作られたと考えられている。タイ語はタイ・ガタイ語族に分類され、チベットから中国、そして東南アジアにかけて広がるアジアの声調言語の一つであり、高子音、中子音、低子音の三つに子音が分かれているのが特徴。タイ文字制定と同時期に現在のチェンマイやチェンライを含むタイ北部を治めていたラーンナー王朝と同盟が結ばれる。

スコータイ王朝の衰退

各地で離反が起きアユタヤ王朝が1350年頃から台頭し始めるとスコータイ王朝は徐々に衰退するようになる。1349年、アユタヤ王朝の軍隊が侵攻し、スコータイ王朝を支配下に置く。そしてスコータイ王朝は1378年にはアユタヤ王朝の朝貢国となる。その後分離したことで力を失った王朝は、ピッサヌロークを治めるのみとなってしまい、マハータンマラーチャー4世の代で王家の血縁が途絶え、1583年にはアユタヤ王朝に併合される。

動画コンテンツ

スコータイ王朝の世界遺産(一部英語版)
タイ文化発祥地、世界遺産の街スコータイ
Historic Town of Sukhothai and Associated Historic Towns (UNESCO/TBS)
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