ドヴァーラヴァティー王国

6世紀から11世紀に存在したモン族による王国

6世紀ごろから11世紀ごろまでに存在したといわれるモン族による王国。議論はあるが、ナコーンパトムを中心としたチャオプラヤー川沿いのモン族による都市国家の連合体であるという見解が現在のところ有力である。ドヴァーラヴァティーとは、美術史の研究家によって、6世紀ごろから11世紀ごろまでの時代の遺物として発掘された、「ドヴァーラヴァティー様式」と呼称される一定の様式を持った仏教美術品を有していたと考えられる文明に対して与えられた名前である。

成立時期

ドヴァーラヴァティー王国の成立時期は、6世紀後半以降と考えられる。タイとミャンマー国境付近、チャオプラヤー川流域の海運、河川交通に適した場所に楕円形の都市を築いていた。これらの都市や環濠集落は、支配者階級の居住区であったと考えられる。

陀桓(ムアン)との関係性

ドヴァーラヴァティーは、過去の文献の記録によると、6世紀後半当初陀桓(ムアン)と呼ばれる現ミャンマー南端部の勢力にしたがっていたが、7世紀初頭に逆に陀桓を属国にしたと考えられている。

美術的特徴

ドヴァーラヴァティーの勢力はタイの東北部にまで及んでいたと思われ、メコン川支流のチー川、ムーン川流域にも、環濠集落や製塩、製鉄遺跡がみられる。また、この地域では、建物の四隅に建てられる結界石が見られ、釈迦の前世についての説話の一部を題材としたレリーフが刻まれたり、サンスクリット語、パーリ語、モン語の銘文が刻まれたものも見られる。これらの銘文は、文字形態の編年研究から8世紀中葉から11世紀ごろに刻まれたと考えられている。これについては、ドヴァーラヴァティーの勢力範囲がもともとタイ東北部まで及んでいたのか、勢力が拡張したのか、という検証がクメール王国との関連でなされる必要があるように思われる。

建築、宗教

全般的に環濠集落及びその大規模なものである都市の周辺やその内部には、仏像を安置した煉瓦造りの寺院やラテライト製の仏塔が建てられ、仏陀の姿や建物の壁面レリーフの特徴から、主として上座部仏教が信仰されていた。ドヴァーラヴァティー時代の建物では、二種類の煉瓦が用いられ、ミャンマーのピュー文化の建物の煉瓦と規格が酷似し、小さめのタイプが用いられることも共通している。ただし、スコータイ王朝時代、アユタヤ朝時代の建物の煉瓦に比べると、大きいため容易に区別ができる。また、チャオプラヤー川流域の遺跡では、結界石は見られないが石の法輪が見られ、6世紀から10世紀頃に刻まれたと考えられるサンスクリット語、パーリ語、モン語の銘文もみられる

経済、生活

ドヴァーラヴァティー王国では、シュリーヴァッサという文様や、ほら貝、聖なる水を入れる壷、雄牛、旭日文などを刻んだ銀貨を発行していた。また、銀貨には、śrīdvāravaṯīśvarapuṇya(徳の高いドヴァーラヴァティーの王)という名前が刻まれ、チャオプラヤー川河口よりやや上流に位置するナコーンパトム、ウートーンなどの遺跡を中心に出土し、モン語の銘文のある石造物を伴う都市遺跡の分布とあわせて王国の中心部と考えられている。銀貨の鋳造は支配者階級によって統制されていた。ドヴァーラヴァティーの住民は象や馬を交通手段として用い、主として農業や商業をなりわいとしていた。

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