ハリプンチャイ王国

隣国に国を追われ続けた民族

ハリプンチャイ王国もしくはハリブンジャヤ王国は、現在のタイ王国ランプーン県にあったモン族の国家である。チャマデヴィと呼ばれる姫がランプーンに送られて来たことによって661年に国が成立した。

成立時期

パーリ語で書かれた多くの年代記によれば、チャマデヴィと呼ばれる姫が当時モン族のドヴァーラヴァティー王国が治めるラヴォ(現在のロッブリー)にいたが、その父によってランプーンに送られて来たことによって661年国が成立した。

国家の壊滅

13世紀初頭までにはランプーンを中心に建築物の建設が頻繁に行われ黄金期を迎えたが、1281年にはコレラの発生以降侵入を続けていたタイ族の一派であるタイ・ユワン族の王マンラーイがランプーンを攻撃しラーンナーを建設したことにより、ハリプンチャイは壊滅した。この後モン族の中心はペグーに移ることになった。

隣国との争い

950年頃クメールの王スーリヤヴァルマン1世がラヴォを占領したことにより、モン族勢力の中心がハリプンチャイに移ることになった。1005年から1022年頃までラヴォは占領を受ける。ハリプンチャイはこの後ラヴォを再びモン族勢力下に取り戻そうとし、クメールとの間に何度も争いが起こった。1010年、ハリプンチャイはラヴォに軍を送り攻撃を開始した。マレー半島ナコーンシータンマラートのクメール人の王が船で援軍を派遣したことによりハリプンチャイの軍は敗走した。それから3年後の1023年にはクメール王カムボジャラージャの軍隊がランプーンに派遣され、ハリプンチャイは攻撃に遭った。

異民族の進入

1050年、ラムプーンにコレラが発生し6年間流行し続け、モン族の一部は下ビルマのペグーやタトン王国の都モッタマへ移動。その隙をつくようにタイ族をはじめとする異民族の進入が増え始めた。1130年にかけてハリプンチャイ王アーディッタは再びラヴォに侵攻した。この戦争ではクメール側が敗走し一時的にラヴォがモン族側の勢力に入った。

ハリプンチャイ王国の壊滅

1150年、後にクメール勢力がラヴォを取り戻したが、この後、ラヴォはハリプンチャイの影響を受けクメールから離反する動きを見せ、1155年に宋に使節を送り独立国としての承認を受けた。1281年にはコレラの発生以降侵入を続けていたタイ族の一派であるタイ・ユワン族の王マンラーイがランプーンを攻撃しラーンナーを建設したことにより、ハリプンチャイは壊滅した。この後モン族の中心はペグーに移ることになった。

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