イサーン人

タイ北東部広域に分布している民族。

タイ北東部イサーン地方に分布しているイサーン人は、ラーオ語に非常に近い言葉(イサーン語)を母語とするラーオ族と、高地クメール語を話すクメール人を含む民族である。イサーン地方はタイの中でも最も貧困な地域とされており、それに加えて言葉遣いもタイ標準語と若干異なることから、都心部(タイ中部)のタイ人からは差別の対象として扱われることが多くある。

主な生活手段

タイ北東部イサーン地方はタイの中心的な農業地帯であり、農業総人口のおよそ半分を占めている。しかし、土壌条件が悪く灌漑も発達していないため生産性が低く、加えて毎年の収量変動が激しいこと等から、タイの中で最も所得水準の低い地域である。

代表的な民族料理

イサーン人の代表料理は、ガイヤーン(焼き鳥)、ラープ、ソムタムなど。主食はタイ米よりももち米を食する習慣があり、ソムタムに用いられるプラーデック(醗酵魚)やプードーン(醗酵蟹)もイサーンの調味料として有名である。

移民とイサーン人

タイ北東部のイサーン地方にあるコーラート台地の住民の多くは、現在のラオス人民民主共和国であるランサーン王国から100年以上にわたってこの敵対的な地域に強制的に移住させられた。 その後、人々、地域、そして彼らの言語は、シャム(当時のタイの呼び名)の王たちによって、パーリ語で北東を意味するイサーンと呼ばれることとなった。 この地域は現在タイに完全に組み込まれている。しかし、この地域で生活しているのはタイ人だけでなく、貧困を理由としたラオスからの移民も多く生活している。

文明と宗教

イサーンを占領した最初の主要な文明は、遺跡の研究によってドヴァーラヴァティー王国(モン族)であるとされている。 壁に囲まれた堀のある町の遺跡が、チー渓谷とムン川周辺の地域から発見された。 遺跡はしばしば仏教とヒンドゥー教の影響を示しており、西部または沿岸とチャオプラヤー川流域から拡大していったと考えられている。チャオプラヤー川流域のドヴァーラヴァティー王国及びモン族の文化は、11世紀頃からクメール帝国によって徐々に置き換えられていった

国内における民族差別

タイ北東地方でラーオ語を話す人々はイサーン人と呼ばれ、長い間、差別され、タイ中央平原やバンコクに生じた発展の恩恵から排除されてきた。事実、政府の政策は何十年もの間、「地方を征服された属州のように枯渇させる」事で、資本家階級に資本を提供し、都市部の労働力を支援してきたのである。さらに、教育や国の官僚制度における厳しい言語要件がイサーン出身者を不利な立場に置いている。経済面では、イサーン地方は国のその他の地域より立ち遅れ、貧困発生率は高く、インフォーマル・セクターに従事する者も多い。政治面においても、イサーンは甚だしく排除され、イサーン出身者で行政の高い地位に就く者はごくわずかしかない。1940年代に、このような地位に就いた者の中には、タイ国家によって殺害された者もあった。

動画コンテンツ

イサーン紹介動画
タイ東北部(イサーン)
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